白雪姫の美しい姿を紐がじゃましていた。紐って外側でしょ。外側巻いてじゃましてた。そのじゃまな紐を取って、元の美しい姿が回復したら生き返った。姿が大事なんです。
二度目の方が解りやすい。白雪姫の美しい姿に櫛が図形としてじゃましていたんです。
でっぱってた。そのじゃまな図形を取って、元の姿に回復したら生き返った。姿が大事。
図形として、じゃまな櫛を取って、元の姿が回復したら生き返った。図形が大事なんだ。
三回目も同じね。喉にリンゴがひっかかってた。
外れて喉の図形が回復した。形が回復した。そしたら生き返った。
ここ極めて新しい理論なんですけど、たぶん解っていただけると思う。平らだってことです。
図形だってこと。

◆昔話の特性―図形的・切り紙細工 「どうも と こうも」の例
別の例出すね、この方が解りやすいと思うんだ。日本の昔話。

昔あるところに、「どうも」という刀使いの名人がいた。隣村に「こうも」と言う刀使いの名人がいた。ある時二人は出会って、腕試しをしようということになった。
名人が切れば、人の首もまたくっつくという話だ。じゃあそれでやろうということになって、「どうも」が「こうも」の首をぴょんっと切った。首がころころと転がっていった。のっけたらまたぴしゃっとくっついて生き返っちゃった。名人の証拠ね。今度は「こうも」が「どうも」の首をぴしゃっと切った。首がころころと転がっていった。のっけたらまたぴたっとくっついて生き返った。これも名人ね。これじゃあ勝負にならない、どうしようかっていうんで、一度きに相手の首を切ったらどうなるだろうと考えて「一,二,三」っでお互いの首を切った。ふたつの首がころころ頃と転がっていった。今度はのっけてくれる人がいなかった。それで顔見合わせて「これじゃあ、どうもこうもならん」って言った。
それ以来日本ではどうしようもない時に、「どうもこうもならん」と言うようになったんだ。

本気にしないで下さい。昔話はどうせ嘘っぱちってさっきから言ってるでしょ。昔話って嘘っぱち。だけど良くできてるね。そう思わない?
だって、「どうも」がまず一人だろう、孤立的でしょ。「こうも」も一人で孤立的でしょ。
1対1でしょ。
首切ったって言うけど血が全然流れてないんだよ。実態は抜いてるよね。
しかもその首持ってきて、体の上に載せたら、ぴたっとくっついた。切り紙細工です。わかる?
切り紙細工、切り紙細工だったら、持ってくるとぴしゃあっとあうよね、切り紙細工ってことは、図形的ということです。平面的という。
すばらしい話よ、これは。世界に誇る話にちがいない。
そうすると、さっき言った「白雪姫」の図形的に語るっていうのと、今の「どうもとこうも」という小話は同じ原理でできていたってことです。
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