日本人みんなの記憶。個人が忘れてしまったことを、昔話は日本人みんなの記憶として、ためといてくれる。だから大事なんだと僕は思うがどうだろうか。
子どもって、若いときは,寝たりするもんだよ。学校さぼるのも当たり前だよ。ちょっと悪いことするのも当たり前よ。そういうゆったりした、そういう風な考え方ね。大人になれば普通になるよ、というゆったりした考え方。
どうしてそんなことが可能かというと、こんなこと。
僕はよく田舎へ行って,おじいちゃんおばあちゃんに話を聞く。
お話を語る人の8割はお年寄りなのよ。若い人って2割くらいしかいない。
年寄りってどういうことかというと、自分の子ども育てた経験があるけど、その育てた子どもが今三十、四十になって普通の社会人になってるわけ。あの小さいときに悪ガキでしょうがなかった、全く勉強なんかしなかった,悪いことばかりしてたっていうような奴がね、三十になったらもう普通に働いている。40になったら普通に父ちゃん・母ちゃんやってるのを見ているわけ。だから若いときに,さぼったり、悪い子したり、寝てたりしていても大人になれば普通になるよという子ども観があるんじゃない。
どうだろうか。そこが若い親と違うんだ。
親って,初めて子どもを育てる時って、全部初体験じゃないですか? だから今の十五歳の子どもの二十年後の姿なんて見たことない訳だよ。だから心配になっちゃう。十五歳でちょっとさぼってたり、ちょっと悪いことすると、一生悪いことするんじゃないかと。そこ行くとね、じいちゃんとかばあちゃんとか,ちいちゃいときに悪ガキだった奴が、普通に社会人やってるのを知ってるから、「まあ心配いらないよ、そのうち普通になるよ」という考え方がある。それが昔話にしみこんでると僕は思う。
たとえば家庭でね。若いお父さんだか、お母さんだかが、中学生か、小学校だかの子どもを捕まえてね、「おまえはちっとも勉強しないな。この頃寝てばっかりじゃないか、しょうがないなあ赤点ばっかりとってきて」なんて言うと、おじいちゃんが傍で聞いていて「そうだなあ、おめえの若いときと同じだなあ」昔話ってその役割持ってると思うよ。だから大事なんじゃないか。
「カリカリすることないよ。おめぇだってそうやって育ったんじゃないか」ってこういう感じ。
今の日本のように核家族で育てているおうち多いと思う。だけどそういう場合特に必要だよね。
そういう老人の智恵、子どもを育てたことのある人達の智恵ってとても大事だと思う。
僕は長いこと教師してたんですけどね、四十五年間教師して定年になってだいぶ経ちますが、思い出してみるとね。ずいぶんできない学生いましたよ。できない学生のほうが多かったかもしれない。
やらないんだよ。さぼってばかりいるような学生がいっぱいいましたよ。何回試験やっても通らない学生もいたよ。
でもね、卒業後、二十年会とか三十年会とか行くとみんなすました顔してりっぱな社会人や母ちゃんやってたりする。名刺もらうとりっぱ。どっかの図書館長やってたり、常務取締役やってたり。
顔見てしゃべっているうち思い出してね。つい言ちゃうの「おまえどこかで、起きたな」(笑)
酒なんかはいると言ってやるのね。「おまえ良かったねえ、若いときにエネルギー節約しといて」
大事なことは,社会に出てちゃんとやること。
一番怖いのは逆ね。
学生の時うんとまじめにやってエネルギー使い果たしちゃった。これが一番怖い。

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