今、児童文学というのは、ぜんぶ近代日本文学の流れの中にある。近代日本文学というのは、明治の初め始       初めに国木田独歩、夏目漱石とかああいう人達によってつくられた。それ以前の、江戸時代とは全
く違います。児童文学とかやっている人も全部その流れの中にいる。巌谷小波なんていうのが最初に
いたけど、鈴木三重吉にしろ、坪田穣治にしろ全部そうです。近代日本文学の成立の中で近代児童文
学が成り立っているわけ。その人達が、昔話をやるときに、近代児童文学みたいな文章してしまうん
です。
それは間違いです。
昔話は児童文学じゃないっていうとじゃあ何かって質問が出るかもしれない。
昔話は昔話なんです。近代児童文学だったら せいぜい百年くらいの歴史しかありません。昔話っ
てどうですか?三百年、四百年って話ざらにある。古いのは八世紀の風土記なんかに出てくる話も
ある。歴史が違います。百年と四百年の差、あるいは八百年の差があるわけです。長い間に、語っ
て、語って伝えられてきたその文体、単純明快な文体なんだから、それを壊さないでくれと僕は言
って歩いているわけです。
そして、今日の大事なもう一つのテーマ“昔話からのメッセージ”このメッセージについても後
でやりますが メッセージも、ぜんぶ昔話らしい単純明快な語り口に乗っ取って発信されるわけな
んです。ですからその前提を壊したらなんにもならないわけです。
ですから、今日も昔話の語り口から入ります。ぜひそれを理解してください。前半は語り口、後半
にメッセージについて話します。

◆「馬方やまんば」を語る
ひとつ、昔話を語りますので、聞いてください。これは、宮城県の利根郡というところで小林さ
んというおばあちゃんが語ったものです。とてもきれいな語り口だから 僕は、よく昔話の例として
出すんですけど、こんな話なんですよ。

むかし、あるところに、ひとりの馬方がいた。
ある日のこと 浜へいって 魚をたくさん仕入れて 馬の背に振り分けに積んで峠の道を帰ってきた。日がくれて 辺りが暗くなると 松の木のかげからやまんばが、飛び出してきた。
「これまて。その馬の片荷おいてけ。おかなきゃ、おまえをとって食うぞ」
馬方、片荷をひとつ後ろへぶん投げて 馬を引いて わらわら峠の道を逃げた。
したらば、やまんば その片荷の魚ばりばりくっちまって すぐまた追いかけてきた。
「これまて。その馬の片荷もうひとつ おいてけ。おかなきゃ、おまえをとって食うぞ」
と言うもんで 馬方 残りの片荷も後ろへぶん投げて はだか馬に乗ってわらわらと峠の道を逃げ
ていった。したればやまんば その片荷の魚もばりばりくっちまうと すぐまた追いかけてきて 
「これまて。その馬の足一本おいてけ。 おかなきゃ、おまえをとって食うぞ」
 っていうんで 馬方 馬の足一本ぶった切って「それっ」とうしろへ投げて 三本足の馬に乗って 
峠の道 がったがったと峠の道を逃げていった。
したれば やまんば その足もばりばりくっちまって すぐまた追いかけてきて
「これまて。その馬の足もう一本おいてけ おかなきゃ、おまえをとって食うぞ」って言うんで、
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