そうするとね 小屋があって、ばあちゃんが住んでたっていう設定でいえば、さっきの馬方の話と同じじゃない?そうでしょ?いい隠れ家だと思って飛び込んだら それ山姥の家だったんだよね、つまり「ヘンゼルとグレーテル」の昔話と同じ原理で語られている。孤立的に語る。だから文法と言っていい。
昔話には文法がある。
その文法を守ってくださいと言っているわけ。「白雪姫」も同じだよね。白雪姫は一人で逃げていくでしょ。殺されそうになったら一人で逃げていくよね。そしたらね、家があった。小人の家。あれも一軒だよね。そこに小人が七人住んでいました。じゃあ1対7だというふうに思うかもしれないけど、あの七人、全訳で読んでみてください。朝起きると一緒に起きて一緒に飯食って、一緒に出かけて、夕方一緒に帰ってきて、一緒に飯食って 一緒に寝るんだよ。単位は“いち一”なんです。 ディズニーは間違いました。ディズニーは名前をつけてる、「寝ぼけ」とか。あれは名前つけちゃいけない。七人が一単位。ディズニーは間違えてます。どうぞディズニーを読んでグリム童話を知った気にならないでくださいね。今、山姥と馬方で1対1だったでしょ。昔話の場面って常に1対1です。浦島太郎とおと姫さま1対1。“昔話の場面は常に1対1で構成される”大事な文法です。これはもう解りやすいからこれ以上説明しなくていいよね。孤立的と一緒です。

◆昔話は極端に語る。しかし、その実態は語らない
馬方と山姥に戻りますけど、さっきの話思い出してください。
あの山姥ものすごい大食漢だと思わない?すごいよね、荷物だよ。魚ぜんぶ食って、馬の足まで食ってるわけだよ、馬丸ごと食ってるわけだよね。“昔話は極端に語るのが好きである”これは解りやすいよね。
昔話に出てくる、たとえば鬼なんてすごくでかいでしょ。そいで子ども食べちゃうみたいなこと言うね。だけどだまされると、豆粒みたいに小さくなるって話あるよね。極端から極端へ行っちゃう。それからグリム童話の「腕きき四人兄弟」っていう話知ってますか?200q先の鳥の目に矢を命中させることができる男がいる。ミサイルみたいな男だよね。そういう極端が好きなんです。これは解りやすい。
だけど見落とされがちなのは、“昔話は極端に語るけど、その実態は語らない”ということ。
ここが完全に見落とされます。実態は語らない。
どういうことかっていうとね。さっき山姥は、馬の足ばりばり食うと言ったでしょ。それ以上言ってない。だって皮むいたんだかむいてないんだか、馬の足切ったっていったけど、血が流れたとか言ってないでしょ。実態を抜くってそういうことです。
切った、食ったという基本の動詞を使うけど、どうやって切ったか食ったか、切ったことでどういう変化が起こったか、そういうことは語らない。実態は語らない。とても大事な文法です。ここが一番誤解されているんですね。
実態は語らないっていうのはね、例を挙げればきりなくあるんだけど、何でもいいんですが、たとえば桃太郎が鬼ヶ島へ行って鬼をばたばたやっつけるじゃないですか。戦ってやっつけるでしょ。あの時ぜんぜんリアルに語ってないでしょ。そうじゃない?鬼が首切られて血流してって誰も言ってない。またたく間に降参しているでしょ。あそこのところ 戦いも実態は語らない。
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